浮世絵は江戸の土産物だったものでもあり、「東錦絵」と呼ばれていたのは大津絵に地域的な意味があったのとおなじ。
最近ずっと水野年方という明治期の画家を調べていて、この人は最後の浮世絵師と言っていいんだけど(全然研究されていない)、浮世絵の江戸的性格を嫌い、その祖先を大和絵にもとめている。
これは年方の絵でどうみても大津絵。この絵をどう考えていいかよくわかっていなかったけど、浮世絵の江戸的性格を清算するに際して大和絵に遡り、それと同時に大津絵が視野に入ってきたというのであれば理解できる。大和絵から見たときに江戸絵と大津絵が兄弟関係になる。これは絵画の地方的性格を清算してヤマトに統合していく過程があったと見做してもよさそうな気がしてきた。
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/239026
最近ずっと水野年方という明治期の画家を調べていて、この人は最後の浮世絵師と言っていいんだけど(全然研究されていない)、浮世絵の江戸的性格を嫌い、その祖先を大和絵にもとめている。
これは年方の絵でどうみても大津絵。この絵をどう考えていいかよくわかっていなかったけど、浮世絵の江戸的性格を清算するに際して大和絵に遡り、それと同時に大津絵が視野に入ってきたというのであれば理解できる。大和絵から見たときに江戸絵と大津絵が兄弟関係になる。これは絵画の地方的性格を清算してヤマトに統合していく過程があったと見做してもよさそうな気がしてきた。
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