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>「さまざまなシミュラクル、すなわち原型(オリジナル)なき複製(コピー)の技術上の基底をなすのは、マイクロエレクトロニクスである」(ダナ・ハラウェイ『猿と女とサイボーグ』p.317)

これは文字通りの意味でそうで、コンピュータ登場以前の複製技術には「版(plate)」が必要だった。いまでも書籍の印刷では刷版がつくられるけど、ふつうのコピー機やオンデマンド印刷とかに版は存在していない。 版をもたない複製技術が登場したのはコンピュータ以降の特徴。

ハラウェイはボードリヤールについて参照して言ってるんだろうけど、ボードリヤールとか読んだのが昔すぎて、「版」の問題についてなにか言っていたかどうかまったくおぼえていない。

近代的な複製技術と現代的な複製技術では、版の有無という決定的な違いがあるんだけど、ベンヤミンには当然この区別がない。そこからいろいろ見直せるとおもうんだけど、あんまりやっている人がいなそうに思う(自分が知らないだけで実はいる?)。
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原版から複製を作るという技術構造が形成したものが中央集権的システムで、たとえばお金はまさにそうで版を国家が管理することに意味がある。版をもっている主体が複製を作ることができるのは、出版業も同じで、版の観念をベースにさまざまな法体系が構築されている。
現代の技術構造では複製には版が不要で、複製はむしろ分散システムを形成する。ここ Fediverse じたいもそうで、この投稿は別のサーバーにコピーが送信され、それが参照される。この投稿のURLが pleroma.tenjuu.net のドメインにホストされているものと、他のサーバーにホストされているものと、どちらがオリジナルであるかという問いには意味がない。