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やっぱりこの記事を読むといちいち話が逆転している感じがするな。
https://u-site.jp/lecture/mental-model-social-acceptability

記事中のやかんの話とか顕著だけど、「システムイメージはユーザサイドで自発的に生成され、メンタルモデルの構築に関わってきたものと考えられる」みたいなのも、そもそも現代的なブラックボックス化しているシステムじゃないんだから、「システムのメンタルモデル」なんてあきらかに不要なのに、それが存在するとしたがる。
おかしな理屈なんだけど、この手の現代のシステム的な語彙がそうでないものに適用される現象はつねに誤った普遍化をともなって、本来の語の適用範囲を不必要に拡大している。
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やかんなど、システムイメージのような間接的なものがあって利用法を理解しているのではなく、もっと直接的にイメージのなかに配置されたオブジェクト空間のなかで行動していると言えばいい。そしておそらくこのイメージ上のオブジェクトこそがメンタルモデルと呼ばれるべきだ。

この記事のノーマンの図、デザイナーの概念モデルとシステムイメージとユーザーの概念モデルの三つがあるとしている。デザイナーの概念モデルというのはようするに設計図のなかで使われるような情報になるけど、これが表現されたシステムイメージを通じてユーザーがシステムを概念的に理解する、というのはシステムをブラックボックスのなかに閉じているからメカニズムについての想像が必要となるという話でしかない。システムが全部開示されていれば、「システムイメージ」を通じてシステムを理解しなければならないような間接性からは解放される。自転車はそうだ。

@tenjuu99 ヤカンの話、ユーザ自身が持つメンタルモデルをそのまま実装しているから、システムのメンタルモデルなんてものは存在しないということですよね。
ユーザ自身が持つメンタルモデルがシステム(のメンタルモデル)そのものであるというか

@NaokiTsuchiya
うーん、というより、ノーマンが述べている「システムイメージ」というものは、デザインされた機械の内部がブラックボックス化していて、内部動作の仕組みがわからないから、その動作機序を説明するためのものとして「システムイメージ」がある。「デザイナーの持つ概念モデル」をユーザーに説明したものが「システムイメージ」になる。

ただ、こういったものが必要なのは、あくまでブラックボックス性を抱える機械についてのことで、UIというものが必要になるのもおなじ理由ですが、こういったブラックボックスシステムでは「このレバーを下げると、内部状態がこのようになり、あれこれこうして状態Bに遷移します」という「内部状態」の説明をする必要がある。

ヤカンなんかは、こういったブラックボックス性がいっさいないわけだから、「システムイメージ」をユーザーがもつわけではない、とおもうのです。ノーマンのいう「システムイメージ」は、ブラックボックスシステムの内部についてユーザーが想像するもの、なわけだから、「ブラックボックスではない道具」についての「システムイメージ」などないとおもいます。

ヤカンは取っ手のついた単純な容器で、その中に水を入れて火にかける、この一連の処理に一切ブラックボックスはなく、状態は開示されている。これが、レンジとかになると話が変わってくるのです。「隱れた状態」(モード)をもった機械の最たるものがコンピュータでもあります。

@tenjuu99 あーなるほど、理解できました。
それで本来の語の適用範囲を〜といった部分に関連してくるわけですね

@NaokiTsuchiya はい、やかんの説明にシステムイメージもメンタルモデルも不要だとおもいます。

やかんは、たんに「取っ手のついて容器状のモノ」であるわけで、古くは縄文土器のような形態のモノがあり、それに取っ手がついていると便利だろう、というモノであるわけですよ。あとは、取っ手を握って水に満たされた容器がどれくらい重さに耐性があるかや、火力への耐性などで、形態および素材を決定できる。つまりここにあるのはモノ同士の関係性で、モノと独立した「メンタルモデル」というものを説明上必要としているわけではないとおもっています。

@tenjuu99 自転車は部分的にはペダルのラチェット部などブラックボックスっぽいです。ですがそれを含めてシステムは全部開示されているということでしょうか?

@pokarim 受けとりようではありますが、機械工業が発達すればするほど、ある機械に占めるブラックボックスの比率は上がるとおもいます。

@tenjuu99 そうですね。ブラックボックスの有無が無意識的に使えるかどうかを決めるのでなければいったい何がそれを決めるんだろう、というのが気になってます

@pokarim 「暗黙知」ということになるとおもうのですが、きっとそれだと解凍になっていないということですよね。しかし、身体は典型的なブラックボックスですが、身体についてのシステムイメージがなくても歩くことができ、この領域をマイケル・ポランニーは「暗黙知」と呼んでいます。

元記事はノーマンが使う用法での「メンタルモデル」となっているから変だとおもいますが、他方でおそらく心理学方面、例えばピアジェなどの「内的モデル」とか「操作モデル」をメンタルモデルと同一視するなら、暗黙知を支配するのはメンタルモデルだ、というややこしい見解は可能になります(ややこしいのは誰の定義による「メンタルモデル」かという語彙の用法の混乱に起因していますが...)。

@tenjuu99  暗黙値がうまく働くかどうかというのはその通りだと思います。やかんや自転車を使う上ではそれが可能で、一方で暗黙値がうまく働かない獲得されない(?)対象もあると思います。そこを分けるのはもの同士の関係性として理解可能かどうかとかそういうことなのでしょうか。

@pokarim どうなのでしょう、というのはわかりませんが、複雑すぎる相互作用システムについて考えると(北京で蝶が飛べばニューヨークで雨が降るような)、関係する因子が多すぎて、ピアジェが言うような意味での「操作 operation」のモデル化はできないだろうなとはおもいます。

@tenjuu99 複雑さはありますよね。あとは「操作」に着目するならこう手でもっていじくり回しながら漠然と挙動がわかってくるようなものが望ましいという感じでしょうかね(考え中です