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マティスのシンポジウム聞いてる

永井隆則さんの絵画からデザインへって話、作品に内在的な意味がなく鑑賞者側にとっての作品の意味付けをやってる(肘掛け椅子)ってことではとおもうけど、それデザインって言うんかという感じはある。まあバウハウスとの関連というか並行性はあるいえるとおもうけど。

ウィリアム・モリスの壁紙と接続するのはたしかに筋いいな

マティスをデザイン史に位置付けて語るのは可能性あるけど、であればもうちょっと基本的な話をですね...。

関直子さんの、マティスの部屋のコーナーへの着目おもしろい。

セザンヌの「彩られた感覚」と「彩る感覚」は、「視覚を造形的な諸要素に変換する作業」として絵画を位置付けているけど、マティスには「彩る感覚」はあっても「彩られ感覚」がないのでは?みたいなのはわかるな。セザンヌには自然と絵画は並行するふたつの調和で、ふたつのシステムはアナロジカルな関係にあったとおもわれるけど、マティスではすでに自然と絵画のアナロジーが崩れているとおもう。
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