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大島康正「大東亜戦争と京都学派」を読む。西田ら京都学派は海軍と繋がって陸軍の暴走を牽制する、もしくは始まってしまった戦争を望ましい方向(早期終戦)にもっていく、ということを背景に座談会を雑誌に出していたという話。テキスト読解難しい...。

おもしろかったと言っていいのかわからないが、当時関東と関西の知識人では戦争と言論に関する温度差がかなりあり、著者の大島によると、京都学派の連中は戦争がマシになるように糞真面目に座談会などをしていたらしい。大島らは、関東に行った際に三木清の家を訪ね、三木は戦争の行方については完全に悲観的で、雑誌などに発表していた自身の原稿などいっさい信じてなかったということを知り、温度差に愕然としたと。その温度差はたしかにいろいろ読んでいて感じていたところだったのでやはりそうなんだな。
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