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サイードとかスピヴァクとかポストコロニアル全盛の時期に、その紹介につとめた柄谷が日本の近代の語りなおしをしたのはなぜなんだろうか。北澤憲昭や大塚英志も日本近代の語りなおしをやっているのも、柄谷の影響はかなり濃いとおもう。

サイードやスピヴァクはアメリカ国内の異邦人として、欧米の知識生産システムのなかで表象される他者を問題化したけど、柄谷や北澤、大塚に共通する語りがあって、明治における近代化を語る一方で植民地支配の話はあまりしないというか、他者みたいなものがない。柄谷はちょっとしている気がするけど(細かく追っていない)。

すげーあたりまえのことを言うけど、このへんはようするに日本のリベラリズム知識人たちで、リベラリズムのなかでは「近代化」っていうのはポジティブなものとして語られるんだよね。

北澤憲昭は柄谷行人の枠組みに完全に準拠しているけど、限界ははっきりしていて、大正時代とか昭和とか語れない。明治における制度の創造性が近代化だったわけで、そこが重要だった。これは大塚英志も似たようなところがあって、さすがに大塚は明治から戦争まで語るけど、特権的な位置に置かれるのが柳田國男で、真の近代化を主張したのが柳田だがメディアの発達が愚劣な大衆を作りだしたという史観を取っている(現代のSNSにあきらかに重ねている)。大塚の史観は、柳田的な「近代化」が達成されていれば人々は民主的主体として確立していたはずで真の近代化が達成できていたはずだ、という理屈がある。
議論の詳細にはたちいらないが、これと共通のマインドセットを感じるのは司馬遼太郎だったりする。司馬の史観は明治は偉大な指導者が立派な建国をしたのに、あとの世代で愚劣な指導者がでてきたから駄目になったというもの。

ここに列挙した北澤、大塚、司馬には共通して日本の「近代化」にたいして肯定的な評価があり、両価的なものとしては考えていない。ポストコロニアリズムが抵抗したのはまさにこの観念であったはずで、近代化=西洋化とは支配の歴史だと書き換えるためのプロジェクトだったはずだ。

全共闘の解体が、青華闘告発による日本帝国主義的体質の暴露によっていたことを考えると、リベラル知識人による「近代化」の肯定的な語りなおし(それもポスコロ全盛期において)は、素朴な意味でバックラッシュだったんじゃないかとおもうんだけど、こういう整理はされているんだろうか。

このへんの日本近代の語りなおしって、日本人による日本語りなんだけど、なんかそういう自己意識的なもの(の強化)から来ているんじゃないかというのはある。
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