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物理的なオブジェクトに似ていると扱いやすいという話、モノとモノの関係に単純な制約が発見できればあとはそれをどう利用するか、という問題じゃないかなとおもう。制約群のなかで行動可能性がぱっとわかればいい、逆に行動可能性がぱっとわからないようなモノ同士の制約群を提供しているシステムはわかりづらい。

外野手がボールを追いかける話も、このモノ同士の制約関係から導かれる行動可能性を判断しているだけのようにおもえる

脳内には抽象化された形でモノ同士の空間配置があるという感じがする。「部屋にはいって椅子に座る」という行動があるとき、部屋と椅子は抽象的なオブジェクトとして整理されて脳内イメージ(この言葉はたぶん適切ではない)としてあり、「座る」という行動のための地となっているようにおもう。
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