というより、読書が自己陶冶に役立つと考えるのが変というか、それはたぶん岩波の宣伝としてあった話で、人生を小説なり書物とかから学ぶという態度はそもそも阿呆らしく転倒している
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読書への期待が、知識や思考の獲得というのは筋が通っているけれど、読書によって人格が形成されるというのはいったいどういう期待なんだ?しかし、明治末くらいからたぶんこの手の期待は成立していて、漱石の「こころ」のKはそういう人物として描かれている。芥川や太宰も本人がそういう転倒した教養主義の持ち主だと思う。