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鏑木清方が大正のプロレタリア芸術の興隆を背景に、自身のやろうとしていることを「社会画」と呼び、木賃宿で少展覧会を開いたという振る舞いには、ウゲッとなる。彼は労働も社会階級の差も、表象の問題としてしか処理できていないし、自身の社会階級にはかなり無自覚だ。
いまの国立西洋美術館での「ここは未来の...」展で、山谷を取材した弓指寛治氏の絵にも、これに似たような態度がある。

清方が帝展みたいな構造のなかで、プロレタリアートの境遇を表現すべきだと主張したところで、当のプロレタリアートは帝展なんて見に行ったんだろうか、あるいは見に行ったとて、そこに労働者が描かれているときに何を思えばいいのだろう

後世の研究者がこういうのにきわめて鈍く、木賃宿での展示を簡単に「良いこと」として扱うのとかもなんかなぁ...。
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