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これは言っては悪いがジャニーズとジャニーズファンの関係に近いものを感じる。ジャニーズの件はファンに対する説明責任なんてはっきり言えばどうでもよくて、被害者への暴力とその隠蔽が問題になっている。

「大切なものとして思い至ったのは、自分の活動を追いかけてくれる鑑賞者たちだった。それは顔も名前もない人々である。」というのはかなり素朴な述懐なのだろうけど、これは名もなき大衆にたいしてアートが開かれているというだけのことで、この大衆を無垢な鑑賞者に仕立てあげるのは完全にやばい操作で、それはジャニヲタが「被害当事者の会がファンを傷付けている」とか言っているのを見てみればわかりすぎるほどわかる。
https://rintarofuse.com/audience.html

布施琳太郎氏はどうみてもアートが特権的なものだと信じているんだけど、大衆に対して芸術家がいわば指導的な責任を持つみたいなモデルで語っている。というかこの鑑賞者という無名の存在なしにはアートというものが成り立たない、という理屈になっているから無名の鑑賞者が大事という話であって、無名の鑑賞者とアートの維持は一体的なシステムとして機能している。むしろこういう素朴な心性こそが隠蔽を機能させる。大衆こそが「開かれたものとしてのアート」の存在根拠になっているわけだけど、そろそろそういうのやめたほうがいい時期なんだろうとおもう。
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