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明治時代の雑誌とかに最近目をとおしているけど、雑誌文化がはじまった明治30年代くらいの記事、専業作家によるものというより読者から広く投稿を募っているものがけっこうある。「明星」は明治33年で、これは今も知られる著述家たちの原稿がメインだけど、当時は「ただの読者」と「著作家」の区別はそんなにつかなかったんではないだろうか。
画家(イラストレーター)だけはたぶん別で、当初からプロの作品がメインで、掲載される口絵を誰が描くかは売れ行きに直結していたらしい。
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