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自分の理解では「読むことに慣れていない」ではあり、というのも、あるテキストを読んで「書き手はナイーブで心配」のような感想を抱くのは、「読み手である自分がナイーブであるように読めるテキストに、なにかしら心配という感情を覚えている」という状況に対して、「書き手」という仮定された存在の「ナイーブさ」という性質を仮定しなければ整合しないと考えている。テキストを読むという行為が、自身とテキストの関係であることを理解できていないという点で、読むことに失敗している。
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