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5記事ありまだ読み途中ですが、シオニズムの歴史にかなり詳しく触れており、勉強になりました。シオニズム指導者層がホロコースト犠牲者に対して侮蔑的な態度を示しつづけたという話、背筋が凍る。

なぜ「なぜホロコーストの犠牲者であるユダヤ人がパレスチナ人を虐殺するのか?」と問うのは偽善なのか?
https://note.com/nikkyo/n/nd249f01d2f1c

あ、6記事か。あんまり読まれていないけど、必読という感じの記事です。

 〔イスラエル紙『ハアレツ』のジャーナリスト〕ギデオン・レヴィーは、「イスラエルはユダヤ人虐殺の記憶を用いて、人道主義、正義、国際法の遵守を推進するのではなく、ナショナリズムを強化し、軍国主義を正当化した。今日のイスラエルでは、人道主義、正義、国際法の遵守は裏切りと弱さの兆候でしかない……。ホロコースト後、ユダヤ人は、武力の行使だろうが何をしても許されると考えるようになった」と解説する。

 レヴィーはこのように言い添える。「ホロコーストの「歪んだ教訓」を活かしているのはナショナリストだけ。そこには普遍的な結論や道徳的な教訓などない。毎年、イスラエルの多くの若者がアウシュヴィッツを訪れる。だが、アウシュヴィッツから戻った後に、ガザ地区との国境に張り巡らされた有刺鉄線の前で、「もうこんなことはごめんだ」と呟いた者はいない。彼らは逆に、「アウシュヴィッツが許されたのだから、ガザ地区だってかまわない」と思っているに違いない」。

シオニズムも当初はドレフュス事件あたりのユダヤ人排斥運動をきっかけに、政治的解決としてユダヤ人国家をつくることを模索していたのが、第二次大戦前の人種主義の発達のなかで自己を育み、ナチズムとおなじグロテスクなものとして発展している。

ぜんぶ読みました。
https://note.com/nikkyo/n/ne40cd11d1a62

イギリスでイスラエルに対する抗議運動を行っているハイム・ブレシートさんのエピソード、かなり印象的なもので、ほんとうに読んでよかった。
次のように書かれている。「私が5歳か6歳の頃から『ここは私たちの家じゃない。あなたが赤ん坊の時に追い出されたパレスチナ人の家なの。いつか彼らは戻ってくるから、私たちは彼らにこの場所を返すのよ』と母は言っていました。 そして彼らが残していった荷物を全部まとめて、きれいに保管していました。 私はイタリアで生まれましたが、自分が住んでいたローマの家を覚えておらず、イスラエルの家が私が知っていた唯一の家だったので、非常にショックを受けたのを覚えています。 母の言っていることが理解できず、自分の家がなくなってしまうのではないかと心配していました」 次のように書かれている。「彼らに家の中を見てもらった後、母が『あなたたちが戻ってきた時のために全部取っておきました。荷物は全部ここにあります』と言って保管していた荷物を見せると、彼らは泣き始めました。 母親たちが泣いていたので、私と妹、3人のパレスチナ人の子どもたちもみんな泣いてしまいました。 年配の女性が私の母に『あなたはとても特別な女性です。私たちのものを守ってくれて、とても感動しています』と言いました。 私が10歳だったこの日は、おそらく私の人生で最も重要な日でした。 なぜなら、『この人たちは敵ではない、私や妹や父を殺したいわけではない』とわかったからです。 私たちイスラエル人が、この2人の女性と3人の子どもたちにしたこと、それこそがひどいことだということを理解したのです」 このとき、パレスチナ人の親子はガザ地区から数時間だけ出る許可がおりて、自分たちの家に戻ってきていました。  その日、一緒に食卓を囲んだ親子は「また戻ってくる」と言ってガザ地区に戻りました。しかし、再び家を訪ねてくることはありませんでした。
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