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印象派から後期印象派にかけて、大衆芸術としての浮世絵を媒介にして反アカデミズムの流れが形成されていたのに、それが日本に紹介されるときには白樺派の個人主義・精神主義的傾向を通じて紹介されたので浮世絵の影響はまったく排除されてしまった、というのはそりゃそうか。当時の国内での浮世絵状況は白樺派みたいなエリート集団に好まれるものではなかった。

白樺派の柳宗悦がのちに民衆芸術運動としての民藝に向かったのはアーツアンドクラフツ運動の影響だけど、この流れは歪みがあってちょっとおもしろいな。柳がエリーティズムから脱することはたぶんなかったけど。
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当時の日本のエリートにとって、西洋文化には西洋固有の特質がある(東洋には東洋の固有性がある)という思い込みがつよくあって、文化がハイブリッドに形成されるという観念はほぼなかったんだろう。柳の民藝を見る眼にもそれはある。