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排除アートをSM用具に誤用する、とかは、この手の話とかなり繋がっているとおもっている。
https://pleroma.tenjuu.net/notice/AWdl9Pz4RvD52nrDSS

デザイナーが込めた意図とは無関係に、モノは開かれた存在だけど、排除アートが排除しようとするものは、「デザインの意図」の外部そのもの。排除アートというのは進めていくと、意図に満ちた空間ができあがるはずだとおもう。

モノを、それが作られた意図と違う用法に開くときに公共性が生じるのだとおもう
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排除アートは、ホームレスの住処やスケートボーダーの遊び場を奪うという意味だけで問題なのではなく、ふつうの人がモノを誤用しなくなるような認知体制を作りだす、そういうデザインのトレンドだという点でかなりの問題がある。つまり、モノにはなにかの意図があり決まった用途があると認知するようになる。
道路は「移動するための場所」だから、地べたに座り込むのは誤用だ、という認知を生みだすこと。そのように、誤用を無くすようにデザインされていくこと。