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文化の盗用、難しいな。ジェイムズ・クリフォードのいう「盗用」からだと、現代の「文化の盗用」はやはり過剰には見えてしまう。

他文化からの意匠の拝借を過剰に気にしてしまうと、ナショナリスティックな意匠しか残らなくなるような気がする。
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@tenjuu99 ちなみに当該書籍を未読で大変申し訳ないのですが彼の言う「盗用」概念はどのようなものなのでしょうか?

@BLUE_PANOPTICON 「芸術と文化の収集について」という題のテキストで、以下のような記述があります。

人類学と近代芸術の歴史学は、収集という行為のなかに、西洋的主体性の一形態と、変化する強力な制度的諸行為のセットを、見てとる必要がある。(博物館・美術館に限らず)コレクションの歴史は、人類学と近代芸術を発明した社会集団がエキゾティックな物、事実、意味をいかにして領有(appropriate)したのかを理解するうえで中心をなす。

「領有」が appropriate の訳語です。 「物、事実、意味をいかにして領有したのか」とあり、「物」は文字通りの収集で、「事実」は民族誌の形成などだとおもいます。

添付のダイヤグラムは、クリフォードの考える西洋社会におけるモノの分類システムですが、「エキゾティックなモノ」を、この分類システムのなかに恣意的な操作によって配置する過程じたいを、「領有」と呼んでいるようにおもいます。

精読できていないので、強い確信があるわけではないのですが…。

ほかの「領有」の用法では、以下のようなものもあります。

機略縦横の北米先住民の集団は、西洋の博物館を領有することさえありうるだろう––また別のヨーロッパ的制度である「部族」(という観念)を我がものとしてきたように。

ここでは、先住民側が植民者のシステムを利用すること(たぶん博物館をジャックすること)を「領有」と呼んでいます。西洋人が書いた民族誌にあらわれた自民俗の記述から伝統を掘り起こすことも「領有」として扱われています。

訳語もそうですが、クリフォードは appropriation を単純な「盗用」とは考えていないとおもいます。

ジェイムズ・クリフォードによる appropriate の説明。「文化の窮状」p.280 ジェイムズ・クリフォードのダイヤグラム。「文化の窮状」p.283

@tenjuu99 夜分深くに非常に丁寧な解説非常にありがとうございます。西欧人が他なる地域の事物を自前の分類法に従ってカテゴライズすることによって生じる認識論的な問題が焦点化されていた訳ですね。確かに自分が先程トゥートした下の図式とはだいぶ違う議論ですね。

@BLUE_PANOPTICON ある民族が他の民族のモノや文化を「自分のものにする」ことですね。マジョリティ側からマイノリティの搾取として発生しやすいのは事実だとおもいますが、appropriation の例に先住民のインディアンが博物館(西洋の文化)を利用して民族的アイデンティティを作りだすことを挙げていたり、一方向的に発生するものだと考えているわけではなさそうです。