いろいろ思い出を掘り返してみて、10年以上前の美術業界の端っこというか裾野がまあまあアナーキーな雰囲気あったんだなぁとおもう。謎の自生的なコミュニティがぽこぽこあって、いまも続いているものだと国立奥多摩美術館とか。学校とか美術館とかマーケットとか、そういう制度の外に自生的なコミュニティがたくさんあって、勝手に生れては消滅していた。
最近そういう流れが少ない気がするけど、知らないだけなんだろうか。
最近そういう流れが少ない気がするけど、知らないだけなんだろうか。
武蔵美すぐのところにあった22:00画廊とか、アーカイブごと消えてしまった。3番ギャラリーとかも、武蔵美近辺の人しかしらないとおもうけど、アーカイブがない。このころはやっぱりアナーキーな雰囲気かなりあって、制度批判的な作品とかも多かったんだけど、それを支えていたのは自生的なコミュニティだったなとおもう。
今年の武蔵美の芸祭にいってみて、まあ真面目に見ていないんだけど、デモを迷惑行為としたり、その芸祭の外で留学生を中心に抗議活動があったり、その一方で芸祭の中では学生が自分の作品に値段をつけて売っていたり、お酒の提供がなくなっていたりした。これはいまの美術業界の縮図みたいなもので、官僚的な制度とマーケット、制度に抗議するアクティビズム、みたいな形になっている。10年くらい前の制度批判的な作品はアクティビズムという感じは少なかったんだけど、制度やマーケットの外にあるコミュニティはわりと広がりがあり、そういうコミュニティが拠点になっていたからできていた作品群というのがあった、という印象がある(田中功起とかもこういうところからでてきている)。しかしこのへんはまじで歴史化されづらい。