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大久保恭子編『戦争と文化 第二次世界大戦期のフランスをめぐる芸術の諸相』読みはじめた。
冒頭から、第二次大戦期の研究としては、亡命した芸術家の作品研究に比してフランスに残った芸術家の研究はまだ端緒についたばかりだという話で、ええっそうなのかってなった(疑っているという意味ではなく)。

総力戦体制という状況においての文化のありかたって日本ではけっこう重要な問題だけど、フランスではやはりそう扱われてこなかったのかな。なんとなくそうな気はしていたけど...。
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フランス近代芸術の語りについて、それがいかに帝国主義と絡んでいるのか(あるいはいないのか)はかなり入り組んだ問題なはずで、ニューアートヒストリーが紹介されていた時期にまるで語られつくしたかのように言っている人たちがいたのは、ほんとうに心外だったな...。
わかりやすいポイント(ゴーギャンの振る舞いとか)以外は、まだ見通しをたてている段階なのが現状なんじゃないかという気がする。

当時のピカソやマティスの活動は、総力戦の銃後だと捉えるのは自然だとおもうけど、なぜかその論調を日本で見たことない気はする。

この論調の欠如が、横山大観や日本画壇の「戦争協力」をスルーする論調とおなじパースペクティブから来ていると考えるのも、おかしい話ではないとおもう。

「1937年パリ国際博覧会をめぐるフランスの文化行政」(大久保恭子)を読んでいるけど、万博で「フランス美術の傑作展」(傑作展)、万博の一環として「独立派芸術の巨匠たち 1895〜1937」(巨匠展)、それとほぼ同じ時期に若干独立して開催された「国際独立派芸術の諸起源と展開展」(諸起源展)、この3つの展覧会について論じられている。傑作展がセザンヌまでのフランス美術史、巨匠展がマティスやピカソらのモダニズム、諸起源展がモダニズムのソースとなったもので(アフリカ・オセアニア芸術を含んでいる)、これらに隠れたキュレーション意図を大久保は論じている。

この関連は、自分のおもうところでは、大東亜共栄圏が抱えていたのとおそらくほぼ同じ構造で、ナショナリズムの喚起と植民地支配の肯定という意図がよく見える。

短いが素晴しい論考だった。これが読めただけでもこの本を買ってよかったとおもえる。
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