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石川さんがスマホを接触という点で特権化してしまっているの、おもしろいけど筋はよくないとおもう。スマホは触れるディスプレイとはいえディスプレイを引きずりまくっているというか、まさにGUIの文脈からでてきたものであって、デスクトップと技術的にもデザインの思想的にもラディカルな断絶があるわけではない。
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GUIのパラダイムの枠内にあることは、それがアテンションを要求するデバイスであり、そのビジネスのまさに中心にあるということからもはっきりと言える。

アテンションを要求するという点で言えばJust Stop Oilも同一の枠内にあるといっても構わない。

スマホと Just Stop Oil に共通するのは、反・視覚的なものとしての接触なのではなくて視覚性+接触で、この接触は視覚を基礎にしている。スマホでは見えないアイコンをタップするわけではない。
ウォークマンとかガラケーとか、音声や振動を中心としたデバイスを視覚中心に組織しなおしたのがスマホだと言ってもいい。ガラケーにはそういう萌芽はあったものの、技術的にも思想的にもGUIのパラダイムから生まれたものではなかった。

デスクみたいな動かない身体をベースにしたデスクトップから、身体といっしょに動くことができるディスプレイというのはあるけど、それじたいウォークマンとか90年代の日本のデザインが源流で、たぶん当時のコンセプトでヒューマンウェアとかそういうやつ。家電のウェア化って悪い考えじゃないとおもうんだけど、そこにディスプレイを持ってきたのがスマホで、それはまあよい考えではないとおもう。思い切って衣服になっちゃえばよかったし、なんならヒューマンウェア的なものと電気服(田中敦子)を結びつけるような論考は読んでみたいかもしれない。
実際問題、具体ももの派も視覚はぜんぜん中心ではなくて動く身体のほうが重要なコンセプトになっているけど、そこから絵画に巻き戻っているのは市場の問題もあるが、フォーマリズムの影響といったものがあり、その流れにリヒター受容とかもあり、絵画の流行に反動的な流れがあったのはそうだとおもう。