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知覚と判断の境界 : 知覚はどれだけのものを捉えられるか(要約) 源河 亨
https://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=KO10001001-20154396-0004

うーん
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これ「低次性質」が色や形などで、「高次モード知覚」というのは低次性質が「ゲシュタルト的なまとまり」をもって知覚されるモードであり、そのような性質をもった知覚対象を高次性質と呼んでいるけど、「高次モード知覚」ってカントの統覚や超越論的統覚の問題だよなぁ。やりかたは分析哲学っぽいけど、やっぱりカントから進歩しているようには見えない...。どっちかっていうと、超越論的統覚のような自己同一性をもとにして統覚が成立するみたいなカント説に反論してほしい。
あと、低次性質の「あの花は赤い」ときの「赤」みたいなのは知覚じゃなくて感覚だとおもう。それが命題の形を取るなら認識だけど。なぜ知覚という概念だけでやっているのかがいちばんよくわからない。

これは要約だから本編では違うのかもしれない