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「文化の「発見」 驚異の部屋からヴァーチャル・ミュージアムまで」(吉田憲司)

西洋近代における「民族誌資料/民族美術」という概念の創造は、じつは「モダン・アート」という概念の創造と一体になったものだと考えられる。西洋が自己を中心とした世界システムを形成していく過程で、非西洋は「他者」化され、変化・創造・抵抗の主体としてではなく、受動的な対象として表象された。「モダン・アート」と「民族誌資料/民族美術」はこの一連の動きの両側で成立した概念だということになる。

これ、まさにいま考えたいことだなー。モダンアートという概念は結局、概念上対立的な性格をもったものとしての「非モダン」を利用しないと「モダン」を記述できない。そこで、一方においては社会集団から孤立した存在としての芸術家を措定し、他方で社会集団を代表するような民族美術を措く。こういう形で差異を通してモダンを規定していくことになる。吉田憲司の主張では、こうして同一の局面の両端に存在するものが近代美術館と民族博物館だ、ということになる。これはおもしろい主張だとおもう。

この議論が孤立した現象であるはずもなく、ほかにもこのような概念ペアを見出すことはできるだろうとおもわれる。個人的には、デザインという概念にたいしてこのような考えを適用してみるとどうなるのか、という点が気になっている。

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