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渡邉英徳氏がやっている戦前写真のカラー化って生理的な嫌悪感があるんだけど、批判している人けっこう少なそうだな...。これくらいしか見つけられていない。
https://chuokoron.jp/history/121375.html

映画のデジタルリマスターも問題としては似ているんだけど、渡邊氏のアレにたいする生理的な嫌悪感のようなものはない。この嫌悪感なんだろうなっておもっている。

たぶん、現在の自分の価値観やリアリティに過去も合わせるべきだという前提に、強い嫌悪感がある。

デジタルリマスターやる人たちって、「作者のオリジナルの考えに近いもの」にしようといろいろ悩んでるとおもうけど、そういうのを全部すっとばして「当時の色を再現できるように努力する」って、そもそも写真をなんだと思ってるんだ。「それはかつてあった」なんてもうどうでもよくなっている。

最近、ヤフオクで明治時代の絵葉書とかを見ていて、実際に手紙として利用されたものがけっこう売られている。資料としてはおもしろそうとおもいつつ、怖くて買うには至らない。人が生きていたことの痕跡にたいする畏怖みたいなものが、自分のなかにはある。
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Twitterで故人のアカウントをそのまま残しておいてほしい、とかそういうのもたぶん似ていて、それを破壊したり改竄したりすることに冒涜だという意識があり、素朴宗教的な感情で、不合理なものだとおもう。

写真にはアウラがあり、好きに扱ってよい資料というようなものではない