「帝国主義的な構造」という問題と、そのなかで各人どう主体的に生きたかという問題は独立にあって、たとえば松方幸次郎はあきらかに帝国主義的な存在ではあるのだけど、なかなか食えない面がたくさんある。松方幸次郎が食えないというのは、アメリカ留学中に片山潜と学友になって後年にも支援していたり、おそらくそういう経緯もあって労働運動には関心を寄せていて、8時間労働制を取入れたりしている。不況時に断じて雇用維持をしたりとか(これは経営破綻の原因でもあったけど)。
「帝国主義的な構造」というのは「帝国主義」とか「帝国主義者」とかの主体が動かしているというより、複合的な現象としてあるんだけど、歴史の抗いがたい流れみたいなものは、そこに抵抗しようとする個人がいてはじめてその流れが可視化される。ある意味で松方幸次郎は反時代的だったし、それは同時代を生きた柳宗悦だってそうだ。
「帝国主義的な構造」というのは「帝国主義」とか「帝国主義者」とかの主体が動かしているというより、複合的な現象としてあるんだけど、歴史の抗いがたい流れみたいなものは、そこに抵抗しようとする個人がいてはじめてその流れが可視化される。ある意味で松方幸次郎は反時代的だったし、それは同時代を生きた柳宗悦だってそうだ。
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