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都市部は違いそうな気がするけど、わたしの祖父母くらいの世代だと本家だの分家だの「家」概念がかなり意味をもっていて、士族や商家や豪農だったらわかるけど明治期に小作農から名字を得た家でも「家」が重視されている。明治という近代国家としては封建主義的な家の観念より、教育の徹底や都市部への労働力の集約(資本の発達)などが重視されていたはずで、封建的な「家」観念を維持するメリットもないようにおもうのだけど、戸籍制度はたしかにこういう疑似封建制(というか家父長制)を後押しする形の制度であるようにおもわれ、それがなぜなのかよくわからない。

これって明治以降に近代的な倫理学みたいなもの(カント以降の倫理学みたいなイメージ)がぜんぜん発達せず、天皇+儒教みたいな倫理を作りだしたからそれで封建制の家観念も引きついでいる、みたいなことなんですかね。

@tenjuu99@pleroma.tenjuu.net 明治維新がブルジョアジーによる革命ではなく、国学に影響を受けた下級士族による革命だからではないでしょうか。

@yuriha 幕末の国学には、家制度の観念を支えた儒教のような思想とは無縁だったというか批判的な視点としてでてきたとおもいます。維新後に、天皇教と儒教の謎の混ぜ物が国家神道として作られたはずですが、明治憲法発布時に西洋、とくにドイツの立憲君主制をモデルにしながら、人倫としては儒教のような封建的倫理を採用したのが、あまり理由がわかっていない、という感じですね。
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@tenjuu99@pleroma.tenjuu.net 結局のところ、封建的倫理の「本来の姿」を取り戻すという発想で、謎の混ぜ物としての理解のまま革命が進行してしまったのかもしれません。功利主義は輸入されたと思いますが、これは言ってしまえばブルジョアジー向けの倫理学として受容されたため儒教が果たしていた役割を担えず、またキリスト教や仏教は排斥され、天皇教は実質的な内容に乏しく実際的でないといった事情によるのかなと思います。