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ジャポニスムがはいってきたとき、ヨーロッパの人は「日本人の自然観がすごい、自然をなんでもありのままに描く」みたいな受け取り方をしたみたいだけど、これ自分には北斎と広重をもとに一般化しているように見える。北斎や広重が日本を代表する芸術家だとしても、「日本人の自然観」を代表させるのどうなの?っておもっちゃうけど、彼らは北斎や広重の背後に「日本人の自然観」を読みとろうとした。
西洋の芸術体系のなかにあるもろもろの観念的な体系を相対化するはじめての体験がジャポニスムだったんだろうな。彼らは日本を理解しようとしたけど、それはほとんど創作に近い「日本」を構築することだったようにおもう。

サイードのオリエンタリズムの場合だと、西洋は変わらないことを前提としてオリエントを研究するのがオリエンタリストだけど、ジャポニスムから20c初頭のアヴァンギャルドに対するアフリカ彫刻・オセアニア彫刻の影響は、西洋自身が変化を志向する中で咀嚼されているという点でサイードのオリエンタリズムとの違いがあり、サイードの議論の有効性の範囲ははっきりしている(いまさら言うまでもないことな気はするけど)。サイードのオリエンタリズムとはイスラモフォビアのことだと言ってもいいのかもしれないけど。
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