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子安宣邦の「日本近代思想批判」読みはじめて、のっけから柳田国男が批判されているけど、牽強付会な読みばかり繰り返していて、うーん

「「国語」は死して「日本語」は生まれたか」はかなりおもしろかった。
この論考は、「国語」と「日本語」の概念差はなにかということだが、そもそも「国語」というのは明治以降に国家の統一言語として生みだされた概念だけど、それが侵略戦争のなかで外国人に日本語教育をする必要がでてきた。それで「国語」という教育装置を見直さざるをえなくなってきて、発明された概念が「日本語」というもので、対内政策(国内の日本語教育、ナショナリズムと一体化した日本文学教育やらを含む「国語」)と対外政策(植民地にたいする言語輸出政策、外国人の日本語学習)を分割するものが「国語」と「日本語」の差異だ、という話。
この論点、現代においては「論理国語」という概念の発明によって、従来の「国語」教育をスポイルしようとしているとおもうのだが、従来の国語教育が支えているのは「日本文学」というものの存在そのもので、そもそも日本文学という概念は教育という制度によって維持されているとおもう。その視点からすると「論理国語」というのはかなりアンチナショナリズム的な日本語教育で、当時侵略国に対して日本語を輸出しようとした教育体系に近づくのではないか、という気がする。
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これはおもしろそうだけど、いまはまだ読めそうな気がしないな...。時枝あたりから入りたい。
https://www.hituzi.co.jp/hituzibooks/ISBN978-4-8234-1170-0.htm