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「なぜ山に登るのか?」「そこに山があるから」ではない。それは植民地主義/帝国主義的な考え方だ。そうではなくて、知覚し、見るためだ。

山関連の文脈、いちど調べて放置しているけど、整理したい気持ちはある(気持ちはある)

https://imdkm.com/archives/2310

今西錦司と梅棹忠夫の師弟は登山でも有名だけど(今西は日本山岳会の会長もやっている)、彼らの人類学的パースペクティブは大東亜共栄圏的な構想と並行関係にあるとおもう。山に登ることは彼らにナショナルな境界線を解体していく経験をもたらしたはずで、そのへんと大東亜共栄圏との関係が気になっている。
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中尾佐助がまた今西グループと登山仲間で、彼の「照葉樹林文化論」は読んで字のごとく照葉樹林帯の文化圏の類似性を語ったものだけど、これつまり国家的境界を越えた文明圏について語っているわけで、中尾らの登山経験からもたらされた発想だろう。この本を宮崎駿が読んで、「日本」から解放されることになる。
一方で、自分としてはこれが大東亜共栄圏的な思考にも見える。