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ブルーノ・タウトの『ニッポン』(昭和16年に翻訳が出ている)で以下のようなことを言ってて、ナショナリズムの及ぶ範囲って厄介だなというか、戦前のドイツ人にとっても天皇は日本にとっての国民統合として了解されていたということと、この国民統合から排除されているもろもろがある

「天皇––将軍という日本の大きなアンティテーゼはまた同時に神道––仏教の反立でもある。我々にとっては日本の複雑精緻を極めた、真に厳粛なる宗教的情意を理解することは、容易では無い。然し、神道が独特な形で日本人をその国土と結び付けているという一事だけは頗る明瞭のやうに思われる。神道の起源は二千五百年の昔に遡り、神道自体がそのために日本と完全に癒合してしまっているので、そこに問題となるものは、仏教の場合とは反対に、本来日本的なるものである。しかもそれは、神道に於ける国民的なるものは既に寧ろ地理的なるもの、島国日本に独自なるものであるという意味に於てである。即ち神道は日本人をその美しい国土と結び付けているばかりでなく、各個人を社会的意味に於けるこの国土の一部分として互いに結合させているのである。」

ブルーノ・タウトを読むと、「日本」の統合性はあきらかに芸術を媒介にしている。日本的美意識への参照をとおして、日本人は国土も精神も天皇に統合されることになっている。明治から敗戦にいたるまで、国内向けのプロパガンダとして「日本」や「天皇」というものがあったというだけではぜんぜんなく、「日本」というイメージの創出を戦略的にやってきてこうなったはずで、一時期においては日本版画の影響以上のものがあったのではないか感じられる。
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