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岩波の教養主義とかが、陶冶の意味での教養と読書を結びつけたと考えても良いのだっけ。たしか『火の鳥』に若きウェルテルの悩みにちょろっと触れている箇所があって、手塚治虫にある岩波教養臭を嗅ぎ取ったけど、もういまでは人格陶冶としての教養は死語だなと感じている。
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