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武家文化に対抗する形で江戸時代に町人文化が発生したと考える枠組みで浮世絵を考えるのが全然ダメなんだな。そもそも身分制を固定的に考えすぎている。浮世絵にしたってブルジョワジーの経済力が発達した結果、身分制度が怪しくなった時期にいちばん盛んになっているのであって、「町人=庶民の文化」だとする観念が間違っている。

庶民文化というときの「庶民」という言葉に「我々の」みたいなニュアンスが含まれてもいて、それも大正期に成立した観念だと考えると納得はいく。
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藤懸静也は「浮世絵」を狩野派とか四條派とか土佐派とかみたいな「浮世絵派」という流派として考えようとするのだけど、当時のなんとか派というのは封建制度に組み込まれたお家制度で、だから大名とかに抱えられていたのに対して、町絵師は絵を売って暮らす必要があった。経済的基盤がぜんぜん違うんだけど、それを藤懸は無視して様式および流派の問題としてしまう。絵を売って暮らすという不安定さもあるから流行に敏感だったので、様式の内在的発展なんていうのは観念的な構築物であって実在ではない。

江戸も後期になってくると北斎のような完全に芸術家肌の人物がでてきて、これは国芳→芳年と系譜づけられるとおもう。一時の流行を越えた絵画の内在的な価値・発展を画工たちが信じるようになってきた、ということは、売れる売れないを越えた絵画的良さみたいなものが、江戸後期には成立している。これは町絵師の職業意識を遥かに越えている。こういう芸術家的意識は、どういう社会的な条件が揃ったら成立するのかは気になる。

町絵師って身分保障がないから実力勝負の世界で、キャラクターも自己に恃むところ強い人が多い。こういうのも近世的な資本主義っぽさはある。まあ芳年はすげー貧乏だったけどあれはたぶん松方正義が悪い。