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オリジナルという概念、版画によって成立したよなぁ。錦絵でも初摺って重要だし。版画を見ていると版の存在を想起するけど、それは複製物がそのオリジンの痕跡をとどめていると了解されている。
その意味で、アウラの消失は複製技術そのものに起因するのではなくて、アウラを消失させるような複製技術があるというのが正しい。版の存在を意識しなくなるような複製技術がある。

日本の場合だとメディアの主流が木版から活版への移行(明治20年くらい)というのも、そういうタイミングの一つだとおもう。活版の登場によって、刷の部数がスケールするようになったのと、部数による劣化が認められなくなる。木版の摺りは初期か後期かでかなり品質の幅があり、どうしたって版の存在を意識せざるを得ない。木目もあるし。それが活版になってみると、いつ刷られたか関係ないし、ある本で使われるフォントが他の本でも使われる。これは、版の存在を意識から後退させたとおもう。
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複製を続ける際に起きる劣化が大きければ大きいほど、オリジンとの距離が大きいと見えるけど、複製を続けても劣化が認められなければオリジンの存在はどうでも良くなる。