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今日見たなかでは、英一蝶の絵がすごいよかったな。江戸初期(元禄ころ)の絵師で、自身も吉原の幇間だけど、すごく素朴なリアリティをもとに風俗画を描いている感じ。菱川師宣もおなじような素朴さがありよかった。
天明・寛政期の歌麿とか以降が、いかに華美で過度に装飾的な表現をしているか思いしらされるのだけど、この歌麿あたりを頂点とした美術史を構築したのが藤懸静也で、展示のパースペクティブはこの藤懸史観から一歩もでていない。

元禄期の絵と、天明・寛政期の絵で、華美さの度合いがめちゃくちゃ違っていて、元禄期の絵は歌麿らと比べると質素とすら言える。元禄期は肉筆中心で、天明・寛政期には版画のほうが中心となっている。メディアの発達と切り離せないし、次第に絵が社会のなかで果たす役割も変化しているからこそ、技術基盤が変わっている。元禄期と天明寛政期で、おなじ「吉原」とか「浮世絵」と括ることができないくらい違うなとおもう。
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展示の問題を述べると、「吉原」というものを、始まりがあり終わりがあるものとして語っていることにある。それは、江戸初期に申請によってでき、明治になって芸娼妓解放令とともに終わるような、閉じた歴史として語られている。だから、かつて人権侵害的な制度があった、と過去形で語っている。現在とは切れている、無関係な歴史だと見做しているからそういう見方になる。