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横山大観とマティス、やっていたことほとんど鏡写しだなとおもっていたが、実際に一歳違いだ。

この二人が似ているとおもうのは自分くらいなのかもしれないが...。

彼らがやっていたことは、帝国主義の拡大期にあって、複数の絵画的リソースのハイブリッドを統合的なものとして生み出し、当初はそのハイブリッド性は拒否されたがそれが第二次大戦あたりになってくると、どちらも「日本的」であり、「フランス的」であるとされた。
彼らが生みだしたものは、本質的にはキメラで(竹内栖鳳の洋画や日本内諸派の技法の混用は「鵺派」として批判された)、いくつかの流れを一つの混合物として形成したが、それがだいたい30年くらいたってみると「純日本的なもの」や「純フランス的なもの」になるらしい。
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本来ハイブリッドなものが「純粋に日本的なもの」に見えてしまう錯覚は、大正期にあらわれた川瀬巴水らの新版画にしても事情は同じことだ。

ナショナリズムの発達というのは、もとからバラバラなものに統一性があると言い張ることにある。その統合性の縫い目が見えなくなるのに30年からはかかるわけだ。