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ソーカルとドーキンスのやつを読み、「出生時に割り当てられた性」と表記することは解剖学的・生理学的身体に起こる問題への医学的・心理学的アプローチになんら影響を与えないにもかかわらず、やれ染色体だ、客観的な科学的事実だともっともらしく騒ぎたてていて端的にムカつくのだが、こういう科学絶対真理主義者たちと対峙するために人文学あるのだよなと思った(「事実」が何に担保されるのかを問うことができるため)

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