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「カルチュラルアプロプリエーション批判」への不満勢の立場にも一定の筋があり、アプロプリエーションへの批判が「異種混交性を排除して文化の真正性」を保持しようとする傾向と混じってしまうからだろう。

たとえば、アメリカなり中国なりで変な着物や武士コスプレなんかをやっていて、そのコードや作法無視に日本人が怒る場合に、そこにナショナリストが大量に含まれることが容易に想像される。
あるいは、ドレッドヘアにする日本人を戒めて「それは黒人への侮辱になるから日本人らしい髪型にせよ」と叱責するときにも同じ構図が出る。抗議の際に、その声がエスノセントリストのようになってしまう。おのおのが「適切で真正な文化」のもとで生きれば良いのだ、というふうに。ここで各集団における権威主義多数派が絡んでしまう。

それを回避するためには、むしろ市場や文化の(財の)交換の側面を推進する、というふうになるのだが、ここで混交か伝統保持かの二者択一にしないロジックが必要になるのだろう。

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日本の場合、「日本文化のカルチュラルアプロプリエーションを気にする前に、アイヌへの搾取的カルチュラルアプロプリエーションを気にしろや」問題がまずある。

ブラックエクスプロイテーションの延長でカルチュラルエクスプロイテーションの枠が整備された方がいいんだろうな。

私はアプロプリエーションによるスカスカ化やハイブリッド化は大好きかつ推進派なので、たとえばこのサムライコスプレにMV(スティーブン・シャヴィロも好んで著作で取り上げた)には「パチモン変容のポテンシャル」がある、とみなす。これが文化の真正性に奉仕などしないナイスコスプレというやつだ。https://www.youtube.com/watch?v=GNCd_ERZvZM