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「マスクがツイッターを買収して以降、インプレッション稼ぎを目的したツイートや意味不明なリプライが増えたことは確かです。私も「マスクはロクなことをしないなあ」と思っています。しかし、前回にも語った「迷惑ボランティア批判」については、位相が異なる問題です」と本文中にもあるわけだけど、しかし逆に言えばある位相においては、イーロン・マスクのプラットフォーム運営には確実に問題がある。記事タイトルには「「ツイッター離れ」やイーロン・マスク批判では解決しない」とあるけど、プラットフォーマーが負うべき社会的責任自体は、適切に問われていくべきだろう。「公共的な議論を成立させるためには、さまざまな仕組みや工夫が必要」であること、そういう仕組みや工夫をボトムアップ的に相互協力して組み立てていくことこそが重要なのであって、そこを忘れてユーザー批判にだけ傾斜し過ぎると、衆愚論や大衆蔑視に陥りかねない。

「ツイッター離れ」やイーロン・マスク批判では解決しない…SNSが「怒り」と「対立」を引き起こす“根本的”な原因
https://www.ben54.jp/news/983

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またBlueskyについて考える場合も、ATProtocolの話を抜きにしてしまうとやはりマズいと思う。「平和で炎上しづらい、「燃えにくい」ソーシャルメディア」みたいなSNSの表層レベルの特徴ではなく、プロトコルのレベルでの思想・権力の在り方についてこそ考えるべきであるはず(ATProtocolにおいても、Relay運営の実態に新たな権力発生の可能性があるはずだ)。
ツイッター/Xにしても、本文中にある「ツイッターでは「引用リツイート」や「ハッシュタグ」などの仕組みによって、自分と異なる意見に触れさせられます」というシステム特徴だけでなく、それこそ運営に設定権のあるアルゴリズムによって、他人の意見=ツイートへの接触機会はデザインされている。その環境はプレーンなものではなく、ユーザーによる引用リツイートやハッシュタグ運用だけで衝突や対立可能性が生まれているわけではない。アルゴリズムレベルでの環境運営の実態自体は、やはり対象化されるべきであるはずだ。プラットフォーマーとしてのイーロン・マスクが問われるべきなのも、フェイクニュースやデマのモデレートのレベルの問題だけではないはずである。

「ソーシャルメディア上での対立は自然に発生しているとは限らず、プラットフォームによって誘導されているという面もある」わけだけど、その「誘導」を形成している力の実態について、具体的に考えることはやはり重要だろう。どうもウェブ上ではFediverseやBlueskyが「Twitterの代わり」的なテーマで取り上げられがちで、プロトコルの問題や分散型という構造にはあまり関心が集まっていない印象がある。多くの人間にとってウェブから離脱することが現実的でない以上、ユーザー側の意識形成ももちろん重要だけど、深層レベルでのウェブ権力の仕組みについても、もっと一般層に対する理解促進が必要なのでは?

また「「ソーシャルメディアは世論や社会を反映しているわけではない」ということを一人ひとりが意識して、現実の問題に目を向けるということが大切です」というのは、まったくその通りだと思った。オフラインレベルでの現実に如何に具体的に介入していくかというのは、自分としても悩み続けている問題でもある。