pleroma.tenjuu.net

これは私はちょっとだけ違う捉え方をしていて、「セクションと記事の区切りはどこにある」というのと「情報のまとまりの『親』が単一であることを URL や木構造ナビゲーションは要求するが、本来は情報の関係性ってグラフだよね」というのがある

「おいしい食事」記事の中に「おこめ」があるかもしれないが、それが埋め込まれて見えているのは本質的な性質ではなく、「おいしい食事としてのおこめ」という情報が「おいしい食事」情報 “でもある” という関係を埋め込みで表現した、ということだと思うのよね。
で、「おいしい食事としてのおこめ」は同時に「おこめ」情報 “でもある” し、また「生活の買い物」情報 “でもある” かもしれないし、さらには「俺のお気に入り」情報 “でもある” かもしれない。
ほらもう木構造では厳しくなってきた

replies
1
announces
1
likes
1

つまり「セクションが一方的に “記事” に従属しているように見えてしまうが、そもそもセクション自体が単体で記事レベルのアイテムとして成立しうるし、それが単にリンクされ埋め込み表示されていると捉えるべきではないか? (そして大抵のアプリはそういうモデリングをできていない)」というのと、「アイテムがひとつの親アイテムの下にあるという木構造はそもそも情報の関係性のモデリングとしてあまりに貧弱すぎるし、それがサブアイテムの切り出しや整理を阻害しているのではないか?」という感じで世界を見ています

さっきの記事の言葉で言うなら、「脱線」はそもそも特定の記事という最小単位パッケージに対する追加ではなく、独立した記事を “埋め込む” ことによって実現される (たとえば『ラーメンばかり食っていると危ない』という小さな “記事” を『ラーメン』記事に “埋め込む” ことでインラインに表示する) べき、ということ

後から「分割」する必要が生じるのがそもそも自然ではなくて、最初から「別物だが表示上は一体化できる」くらいの距離感であるべきなんですよ。まあ実装やリンク設計がダルそうというのはもちろんそうなんですが……