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難波さんのレビューを見て『VTuberの哲学』読んでみているのだが、確かに制度的存在として扱えるものに範囲を絞ってるからVTuberは制度的存在である、と言えてるだけの気がするのよな。もちろん私がどちらかといえば個人勢好きだという贔屓目はあるにせよ  https://lichtung.hatenablog.com/entry/2024/05/21/000934

そして第5章の芸術作品としてのVTuberの議論はめちゃくちゃ危なっかしいと思った。例えばアイドルや俳優の各個人に対して「彼/彼女自体がもはや芸術作品である」と言うのにはいろんなリスクがあると思うが、この本でVtuberを完全に虚構的な存在ではないと扱うのだとしたらそこを無視できない事になるだろう。

それに、ファンや視聴者との共創で作られる作品の議論は2000年代初頭の古典かつ楽観的UGC論そのままであまりに反省がないと思う。ファンとVTuberの共創と言う形で制度としてのVTuberを語るとき、それを動かすプロダクションやYoutubeのようなプラットフォームは透明化される。これはダントーやディッキーのアートワールドの悪いとこなのでベッカーのアートワールドの方も見たほうがいいと思う

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結局この本では、商業・経済活動としてのVTuber活動についてあまりに考えてなさすぎると思う。そこに首を突っ込むと主題がVTuberの社会学になってしまうからやりたくないのはわかるが、商業活動として成立していて認知度が高いカテゴリを暗黙的に中心的存在として扱うのは誠実な立場ではないと思う。ビデオゲームの美学ではインディーゲームを弾くことはないわけでしょう