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風景論以降 感想つづき

清野賀子の写真は、人の居ない、一見して匿名的な風景写真に見えるが、崟の作品と並ぶことで見え方が変わると思う。作家のいう"「通路」のようなものが開かれ、その先にあるものは見る人が決める"写真は、どこにでもある光景だからこそ、見る人の記憶の依代となるような写真であって、細部のない抽象的なイメージ画像ではない。

第三章は中平卓馬のProvoke時代の写真から始まるが、崟の次に見せられると、あまりに芸術的すぎる。プリントは美しかった。今回は政治的な文脈がはっきり出されたなかに展示されているが、イメージだけでは美的に消費されておかしくない。本人が自己批判するのもわかる。ほんとうにほんとうに美しかったけれど。

<略称・連続射殺魔>を見始めたら、おもしろくて86分通して見てしまった。映画的にも優れていて、常に緊張感があって退屈しない。永山則夫の生涯と同時代の社会構造とその関わりとが映像によって語られていた。あと60年代の日本の建物や習慣や服装など自体が(わたしが古い映画を見慣れていないだけなのだけど…)興味深かった。

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