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森美のひとつまえの展覧会に出ていたジャカルタ・ウェイステッド・アーティストというコレクティヴの作品は、ジャカルタの街なかにある手書きの商店の看板を譲って貰う代わりに新しい看板を無償でつくって寄贈し、看板をコレクション&アーカイヴするってやつだったんだけど、それが「作品」として収集されることで、看板を保管して展示するというプロジェクトが結果的に美術館という制度に委ねられるわけで、それけっこう面白いのではないかと思った。アーティストたちの「つくったもの」はジャカルタ市内に散らばっていって、その代わりに得た街の記憶のほうがアートワールドを倉庫がわりに保存される、という……。

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アートが社会に介入するソーシャリーエンゲージドアートの構図とはちょっとずれて、社会の側がアートの制度に介入したり、そこにリソースを負担してもらう、と捉えるとなんかおもろいな〜と

SAEの「それなら『アート』かかげなくてよくない?」みたいな問いに対して、いや我々はアートの制度を活用できるのでないか、みたいなことを考えたりして…… まあ言いすぎかもしれんが……

当日会場でのメモには、田村友一郎のプラザ合意を人形浄瑠璃(だったか?)に仕立てました~みたいなインスタレーションに対して「Eテレでやっとけ」と捨て台詞を吐いていて自分でちょっとひどいなと思った でもこんなちょっと気の利いた教育番組をインスタレーションっぽいフォーマットでやりましたみたいなのを評価してもしょうがないだろうと……

藤井光の《帝国の教育制度》も面白いところはあるけどなんかもやっとする感じだったのを思い出した これについてはある種のリエナクトメントが嫌なのかなという気がする。