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シンゴジラ見たんだけど、あまりにもな政治的無責任連発の表現で怒り通り越して開いた口がふさがらなかった。東日本大震災と福島第一原発の事故という、ナショナルな体験がなければ作れなかった作品であり、その経験に多くのイマジネーションを負っていて、そこから共通の言語を導き出すことで、ゴジラというコンテンツを広いオーディエンスにもアピールするように作れたのに、他方で、放射性物質を除去する技術が開発されてることになってたり、ゴジラの放射線は半減期がアホほど短かったり、何より「この世界は原発事故があった世界なのなかった世界なの」ってところで、まるでなかった世界であるかのように描写していて、要するに現実をあっちこっちで改竄している。映画ではアメリカから核のリスクを東京が押し付けられてる描写だが、現実は東京が地方、福島に押し付けてるわけでしょ……。表現としての誠実さを疑わざるを得なくて。みんなこんなの、どうやって見れてんの。

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総理大臣や官僚が出てくるので、社会や政治を描写しているようでいて、実際は現実社会の描写が著しく欠如しており、過度に理想化されているファンタジーでしかない。しかもそのイデオロギーは「誰からも知られることもなく現場で働いているあなたたちこそ尊い」という「地上の星」レベルでしかないっていう。実際、デモ隊が夜通し騒いでる中、カップ麺のゴミにまみれ、徹夜で奮闘してる「現場」の人たちの描写が入ってる。「デモやるやつとか呑気だし何にもなってない」という政治的批判はしながらも、現実の話ではないし現実にはコミットしてないので「私は何も言ってませんよ」「単にゴジラが撮りたかっただけ」と言い逃れできる。汚ねえ……。

しかもこんなレベルでも、エヴァのシンジくんからしたら「現場に出て【戦って】るだけコミットメントしてる」「大人だ」「作家の成長だ」ってなる。エヴァ的な政治スタンスの行き着く先は「やっぱそっち」、非政治的に見えて実は相当政治的なのだよな、「そっち」の方向で。

もちろん「単にゴジラが襲ってきて東京破壊して何とか退治するだけのエンタメってだけじゃん」ってのは理解してるよ(苦笑)。だけど、単なるエンタメにもイデオロギー性は指摘できるし、指摘してるこちらが「イデオロギー臭い」んじゃなく、これですら「指摘するやつらがイデオロギーなんじゃ」と言うほうが「無色透明」というイデオロギーで、「どの色で塗るのもやめましょ」と言いつつ、要するにそれって「白」というキャンバスカラーの選択でしかないっていう。