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「まさに「詐術」みたいな映画で、この映画はまず「障害者の実態」(汚い・気持ち悪い・コミュニケーションができない)を描いて、つぎに「障害者を殺傷した容疑者の主張(優生思想)をおまえは否定できないだろ?」「だってお前も障害者は人間じゃないと思ってるもんな?」という論を張るんだけど、そもそも、その「実態」自体が間違った情報・極度に一般化されたレアケースを基にしていて、かつそれをホラー映画の演出で表現しているため、事情を知らない観客はこの詐術によって騙される。この極度に一般化されたレアケースというのは、要するに、こんなことがあったらその施設には警察の捜査が入って、マスコミ報道され、職員は逮捕起訴され、運営法人が消失するレベルの話であって、こんなのが一般的でたまるかという話なのだ。そして、この論の出発点にあたる「障害者は実際汚いし意思疎通できないじゃないか」という前提そのものがクソ差別なんだよな。ざけんなよ」

https://note.com/tokyonitro/n/n44f6aa6caa2a

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「好きな食べ物が分かれば人間になる。画用紙に無造作に色を塗る利用者の、その理由が色ではなく手触りにあったなら、彼女もまた人間になる。その利用者の暴力の原因が周囲の喧騒にあったなら彼は人間になる。繰り返される意味不明な独り言に、母親を呼ぶかつての習慣の名残を見い出せば彼女も人間になる」

「なんで優生学が否定されるのか?それは優生学が科学的に間違っているからでも、「自分が年取って寝たきりなったら殺されるから」でもない。それは優生学を恐れる理由にはなっても、その存在そのものを否定する理由にはならない。優生学が存在できないのは、この「生活によって人間は人間たらしめられる」という前提条件によって、その存在そのものが根本から否定されるからだ。そこには遺伝の優劣なんてまがいものの価値が介在する隙間はない。人間を人たらしめる「生活」は、遺伝ではなく社会そのものによって成り立っているからだ」