pleroma.tenjuu.net

例のシュライアー本を北米の公共図書館がどう扱って、どういう議論があったかに関する記事を、知人の識者から教えてもらったので、こちらでもおすそ分け(一部自力で見つけたものも追加)。

一つ目は、カナダの例で、シュライアー本を公共図書館側がスタッフおすすめ本にしてしまったというケース。

Controversial book on 'transgender craze' no longer staff pick at Whitehorse library (CBC)
https://www.cbc.ca/news/canada/north/whitehorse-library-book-irreversible-damage-decision-1.6882585

結果として、抗議を受けて、おすすめ本からは外したものの、蔵書としては維持、という扱いになっている。


1/8

興味深いのが、図書館側のコレクション構築方針に、「カナダ刑法の『わいせつ物』、『憎悪宣伝』、『扇動物』の定義に違反する場合、その資料は図書館のコレクションから除外される」とあるものの、それを判断するのは図書館ではなく、裁判所の役割である、と図書館側が説明しているところ。裁判で違法性が確認されない限りは、蔵書からは除かない、というのは、図書館への政治介入を防止するという意味では必要な歯止めという面もあるので、理解できるところでもあり。
シュライアー本をスタッフおすすめから外したことについては、図書館側は「表現の自由と、すべての人、すべてのコミュニティ・グループを包摂し、歓迎することとのバランスをとる」と説明している。これに対しては、地域で唯一のノンバイナリーの議員からの、図書館には様々な本があることは理解するが、おすすめ本の選定方針を明確にしてほしい、とのコメントが紹介されている。


2/8

replies
1
announces
5
likes
1

次は、一旦は公共図書館がシュライアー本を購入しない、という決定をしたものの、住民グループからの政治的検閲である、との抗議があり、最終的に購入することになった事例。

Group Claims Library Censorship Over ‘Transgender Craze’ Book (Westport Journal)
https://westportjournal.com/government/banned-by-library-group-claims-censorship-over-transgender-craze-book/

Library Agrees to Return Book on ‘Transgender Craze’ to Shelves (Westport Journal)
https://westportjournal.com/government/library-officials-agree-to-return-book-on-transgender-craze-to-shelves/


3/8

図書館側は、シュライアー本には「引用している研究結果のいくつかについて、省略された情報や誤った情報」があり、信頼できなかったとして、購入を見送ったものの、「多様な考えや意見を促進し、利用者の問題への理解を深めるような本や資料を利用できるようにする」という図書館の責務として、購入することになったと説明。
一方、住民からの抗議について、地域のインクルージョンに関する方針を検討する審議会では、米国で活発になっている人種やセクシュアリティに関する「文化戦争」の一貫と捉えて、その影響を拡大させないようにすべき、といった意見も紹介されている。

ここからは推測になるが、「文化戦争」の拡大を回避するための購入決定だった、という側面もあるのかもしれない。当初、誤った情報(misinformation)を理由に蔵書にしない、という判断を図書館はしたわけだけど、これが前例となれば、気に入らない本の誤りを見つけては蔵書から除けという圧力を呼び込むことになりかねない。それを考えると、現実的な判断ではあると思うけど、評価は難しい。


4/8

あと一つは、公共図書館の蔵書にはしたものの、地域のトランスコミュニティからの抗議と対話とを経て、本の表紙の内側に、トランスの若者を支援するための資料リストを付す形で提供することになったもの。

On Pride, the library and Irreversible Damage done (The Coast)
https://www.thecoast.ca/arts-music/on-pride-the-library-and-irreversible-damage-done-26558083

図書館側としては、"The Economist"が取上げるなど、公共の場やメディアでこの本が話題になっていることを踏まえて、購入希望が出て、蔵書にすることになったといった経緯を説明するとともに、図書館が、民主主義を構成する、表現の自由や読み、学び、議論する自由に基づいたものであることから、反対がある資料も所蔵するという基本的な考え方を示している。
館長が語る「歴史的に振り返ってみると、検閲は決して歴史の正しい側になったことはありません」といった発言からも、米国における公共図書館の基本理念がよく分かる。


5/8

なお、公共図書館側が紹介している、トランス支援資料リストは次のもの。

Supporting Trans Youth
https://halifax.bibliocommons.com/list/share/1135550427_hfxpl_adults/1907110149_supporting_trans_youth

こうした対応は、公共図書館ならでは、という感じで、個人的には好感が持てる。
その一方で、記事では、それなら図書館はユダヤ陰謀論本も同じように所蔵するのか、と問い返す批判も紹介されている。シュライアー本は、トランスの人々に対して、ユダヤ人に対するユダヤ陰謀論本と同じような効果を持ち、「地域社会でトランスの人々に対する憎しみを定着させる可能性がある」のではないかという批判。言論の問題ではなく、地域に住むトランスの人々の安全の問題なのだ、という形で、図書館の姿勢に問いを突きつけている。


6/8

以下感想。
大手メディアが肯定的に取上げ、(賛否両論であれ)社会的に話題になった本を、特に公共図書館が蔵書にしない、という判断をするのは、極めて難しいことを改めて感じた。
日本で刊行されていた場合(まだ今後別の出版社から刊行される可能性もあるわけだけど)、新聞各社が好意的に取上げたり、話題の書として紹介したりする展開になれば、積極的には購入しないとしても、リクエストがあれば購入する、という判断をする公共図書館は少なくないと思うし、そのこと自体は公共図書館の役割として否定しがたい。
また、最後の記事に見られたような、言論の自由か、コミュニティにおける安全か、という対立軸は、個人的には、相当丁寧に議論しないと、簡単に、差別を浸透させたい側に簒奪されるのではないかと感じている。例えば、米国で、人種差別やLGBTQ+に関する本を図書館から排除しようとする側も、コミュニティの安全を旗印にして、特定の人種、属性の人たちが、コミュニティを脅かしているのだ、という議論を展開していることも踏まえる必要があるかと。


7/8

ではどうするか、という答えがあるわけではないのだけど、少なくとも、こうした先行事例を踏まえた上で、では、実際に同様の事態に直面した時にどうするか、ということを、図書館関係者はよく考えておいた方がよいと思う。できれば、当事者、あるいは当事者の問題に詳しい識者の意見を聞く機会を設定した上で、対応を検討するのが良いと思うけれど、トランスコミュニティとの対話ができる図書館は、日本では限られるかもしれない。
また、最後の事例の、トランス支援資料のリストを付して提供する、というのは一つの解だと思いつつ、その図書館が日ごろからそうしたリストに掲載できるような資料を選書して蔵書にしているかどうかが問われる、という側面もあるかと。各公共図書館が日ごろ差別の問題にどう取り組むか、という問題でもあるのかもしれない。


8/8