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私は作家が素朴なことをいくら言っても許される状況って薄気味悪く見えてしまうというか、「作家」という特殊言説空間があってそこに知的に隔離されている結果に思えて、そういうふうに追いやられていることでどういう秩序が生まれているかの方が気になってしまう。

読者なり聴衆は、作家にシャーマンを期待して、その振る舞いを押し付けるんだけど、他方で、作家は作家で技能と実存の混濁のなかに生きているので自らシャーマンっぽい振る舞いを自分の礎にしてしまう。そうして相互に強化された循環のなかで一定の「素朴なことしか言わないがそれで熱烈に歓迎される」秩序が確立される。

が、なんかこういうのって勤め人が自傷的な消費行動に依存するとか、ホストや風俗に異様に金を使って実存が絡まってしまっている人と、私の中では完全に横並びに見えてしまい、作家ー聴衆だけが特別に思われていることの方が歪みに思えている。

たいていの作家って、しゃべるとわかってしまうけど、単に職人性とセンスと実存の複合体だよなとか・・

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まあ、近代に入って宗教と芸術が分離し世俗化したあとで近代芸術や近代文学が生まれるわけだが、その達成は同時に「世俗化された世界における宗教の代替物」と化すので、作品とそれをとりまく共同体や儀礼が、祭具と祭祀とシャーマンのそれになる。

20世紀はまだしも世俗化のプログラムが効果を発していたが、冷戦崩壊以後、政治と宗教が完全に回帰したことで、世俗化のプログラムごと揺らいでいるんだろう。だいたいそういう状況はどの分野でも濃厚に漂っている。