ニナ・メンケスの「クイーン・オブ・ダイヤモンド」を見たとき、西澤諭志さんの映像作品を思い出していた。
メンケスのほうが30年くらい早いのですが。
さいきん読んだ、
佐々木友輔/風景のスクリーン・プラクティス
第1回 中平卓馬と西澤諭志の権力=風景論[前編]
http://www.kaminotane.com/2024/09/27/26081/
では中平に終始してまだ西澤さんの作品については語られていないが、中平については妥当なことが書かれているように思う。
風景を切り裂く、とか、ヴェールをはぐ、とか、プロヴォーグ時代の中平の言葉もマッチョな方法論は、けっきょく美しくなってしまう。
権力としての風景を前景化するには、速度を落とすことがいちばん有効なのではないか。メリハリをつけないこと(植物図鑑のように)
それをクイーン・オブ・ダイヤモンドを見ながら思っていたのでした。
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