グダグダ、グダグダ、全員一致するまで話を続ける。
「三人集まれば〜」的な、大勢でより優れた結論に達するための話し合いでもあるが、そこでより重要視されていたのは村人たちの身体性に残っているものの吐き出しと、身体性の共有だったのではと思った。
そしてそういう何日にも続くグダグダの話し合いをそもそもできなくする労働形態に移行されることによって、柳田国男のとらえたような「民主主義」は成り立たなくされ、葬られたのかと思った。
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村人たちがグダグダ世間話をし続けることは、日々感じている細かな思いの共有であり、抑圧されていた感情のカタルシスもあり、個人的な問題にされていたことが社会化されることでもあっただろう。
セラピー的な要素、まちづくり的な要素、共有されている規範を更新する要素など、現代ではバラバラに細切れにされているものがひとまとまりとしてある。
自分としては細分化への盲信、もともとひとまとまりとしてあったものをバラバラにし細切れにしていくことへの疑いの無さは現代の病理だなと感じる。
学生時代はセラピー的なもの、エンカウンターグループとか、内観療法とか、フォーカシングだったり、ブレスワークみたいな激しいやつまで、行けるものは色々行ってためした。
結果、実感したのはアプローチの違いもあるだろうけれど、変化や回復の度合いの大きさと比例したのは、期間の長さだった。単純に、一泊二日より、三泊四日のものがいいし、五泊六日のほうが変わった。
四国遍路にかけたのは40日だったが、7日目ぐらいで経験のされ方が変わってくる。変化をおこしていくためにはある程度のまとまった時間が必要だというのは、先に投稿した、村人たちの民主主義と重なる。
今の社会環境では、ほとんどの人は一度にとれる休みはそんなに多くないだろう、細かく休日を与えられても、変化に足りず、変われない。構造的に人が変われなくされていると思う。
四国遍路で見えてきたのは、過去の習慣(価値観)の残りは相当に強固であり、揺り動かしなしにはなかなか取り去られないこと。
基本的には受容的、応援的な環境で、かつ自分の役割や位置づけ(四国遍路での白衣は社会的なステイタス、老若の差、性別の差をぱっと見で判別しにくくする機能がある)が曖昧にされる境界性を設定し、境界的な空間(旅することやサードプレイス等)で、適度な揺り動かし(「日常」の自分のあり方にたかを括れないこと、自然や出会う人や出来事など)を受けていく。
このことで、過去の価値観で現在ではもう古びてしまっているが影響を与え続けているようなものが破綻していき、身体性は「デフラグ」されていく。
四国遍路、四国八十八か所めぐりの各寺(札所)は同じ宗派ではない。真言宗もあり、曹洞宗など禅宗などもある。共通するのは各札所にある弘法大師をまつる大師堂。大師堂が宗派の違う八十八か所の寺を一つのまとまりとして浮かび上がらせる。
一つ一つの札所はいわばコミュニティであるとも考えられる。コミュニティとコミュニティの間を移動する旅人の存在によって、各コミュニティには情報や文化が流れこむ。そして札所と札所の間の空間を含めたまるごとの空間としてのメタコミュニティが立ち上がっている。
「遍路は道中にあり」という旅人たちの言葉がある。寺自体ではなく、その間の空間、旅そのものが、大師(として象徴される生きたまるごとの世界、既知の外にある世界)と出会うことであり、向き合うことでもある。
旅人たちは様々に限定される一つの固定的なコミュニティにではなく、メタコミュニティのなかで特定の規律や価値に思考を従属させる必要なく支えられ、また揺り動かされることで、その身体性が自律的に更新されていく。また移動する身体性は各コミュニティにも風を通し、場を更新していく。
新しい状況に直面しても自分として出来上がってしまい、習慣や層のように重ねられた身体性を思考の操作だけでは取り去れない個人、また同じく出来上がって固まっていくコミュニティ、その両者を変えていくのは、ひとところに居着いた思考ではなく、実際に移動する身体性(それは「場」でもある。)そのものだろう。