pleroma.tenjuu.net

ユーザ個人のアイデンティティの自立性というか独立性を最優先のコンポーネントとして考えたとき、コミュニティを誰かの意図によって形成したり操作したりできるようにはしないことを設計として選んだのかなという印象を持っていた。
まあ単にデザインが甘くてコミュニティをしっかりした分散型 SNS に落とし込めなかっただけの可能性もあるけど

フォローグラフ原理主義ではあるなと思う

replies
1
announces
1
likes
1

アイデンティティが独立で安定して持続できると、その SNS 外の別プロトコルや別メディア上で長期的に露出することができるようになるので、結果として外界を経由してのフォローグラフ形成を促進するようになるのかなと。
その点ではコミュニティやリコメンドを主軸としないフォローグラフ形成を試みるのも普通にありだと思う。うまくいくかは知らんけど。

Twitter でフォローすることになったアカウントに遭遇したのが Twitter 外からのリンクだったという人はそれなりにいると思うし、アカウントの独立性と持続性が信頼できるならそのような経路がメインであっても (若干迂遠ではあるが) SNS としては十分機能しそう

べつに境界線を引かれたコミュニティ機能がなくても “クラスタ” みたいなものは自然と発生してくるし。かつての Twitter でそうだったように。

まあアカウントの発見性についてはどちらかというと crawling indexer の守備範囲なので、コミュニティをホストすることに興味がある人はそっちに行くのだろうけど (そのために PDS を一緒に (抱き合わせで) 提供することはあるかもしれない)