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変な話をすると、戦前から日本の家族を農村を中心に研究していた有賀喜左衛門という人がいて、戦後に『日本の家』という本を書いて、それが、なんというか伝統に寄り添うような感じだったので、僕は大変嫌いだった。有賀は自分自身、長野の庄屋の家の当主でもあるし(ちなみに、戦艦大和の最後の艦長だった有賀大佐は喜左衛門の親戚である)。

で、他方に戸田貞三という人がいて、この人はアメリカ留学帰りで、これから日本は民主化されなければならないというような感じのことを言っていた。これは実に悪くない。戦後も、まあ色々あったけど、戸田の路線で多くの人が発言して、民主的な家族生活の重要性みたいなことを提言してた。

ある時、僕はたまたま有賀喜左衛門が柳宗悦の影響を受けて朝鮮の独立運動のシンパになっていたことを知った。それから、戸田貞三が東京大学の教授として「満州国」への日本の侵略を支援するような活動をしていたことも。

そう思って有賀の著作を読み返すと、彼が慎重にではあるが、日本帝国を批判したり、農村の非合理性を改善した利用としていたことが少し感じられた。ただ、その時に進歩ということをすればいいんだとは考えていなくて、それが戦後には社会の進む方向とは逆に出てきたようだ。

だからといって、伝統がすべて素晴らしいと言いたいわけではない。伝統がひどくどうしようもないことは多いし、戸田貞三にも伝統主義者としての面はある。だから、事はそう単純ではない。というか、僕が思っているのはだいたいそういうことだ。ことはそう単純ではない。

割り切ることは時として有用だし、特に自分が詳しく知る必要がない分野についてはそうだ。ただ、解像度を高くして見ざるを得ない場合には、やはりちょっと抵抗がある。

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