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「SNSで間違ったことを言ってはならない」規範、あまりにも強く内面化してしまうと、「間違ったこと」を言わないように、人の顔色、すなわち空気ばかり見ていくことになるわけでしょ。SNSでの「正しい」「間違った」なんて、自分と交流あるアカウント(私はこれを「承認資源」と呼ぶ)によるいいねやシェアの多数決でしかないわけだし。

それに人は安心して間違えられる、失敗できる環境において、試行錯誤を繰り返し、適切なタイミングで優良なフィードバックが得られるときに最も効率よく学習ができるんだけれど、その機会が奪われてしまう。

結局「人が正しいと言っていることを自分もそうだそうだと追認するだけの大政空気翼賛臣民」になるだけ。

間違ったことを言ってはならないのはある意味で「その通り」なのよ。なんせ間違ってるんだし、別に仕事での多少のミスとかなら間違えてもいいけれど、差別発言とかそういうのは「絶対にしてはならない」こととされているので。①絶対にしてはならないことなので間違えることが許されない。②他方で差別については特定の答えを覚えてそれを機械的に適応するだけではなく、常に問題を考え続け学習を続けていく必要があるのだが、③学習するには安心して間違えられる環境が必要で、④SNSはそのような場所になってないどころか、逆に学習を阻害する要因が強い、っていう。

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ある意味では「間違ってはならない」。でもそれを「あまりにも」内面化してしまうとそれも問題っていう。