pleroma.tenjuu.net

改めてざっと確認する。間違いは指摘してほしい。

日本帝国が戦争への道を突き進んでいたころ、日本は神の国であるというような完全に行っちゃった人たち(軍の中心部などにそこそこいた)を除くと、だいたいの理屈は「西洋は過去100年にわたってアジアを侵略してきた。日本はそれに対抗する。そのためにはアジアの物質的・人的資源を日本の元に統一する必要がある」というあたりにまとまってた。このへんの話をした人には、総力戦構想の右派(石原莞爾あたり)から、西洋文明は思想的に行き詰っていると考える左派(京都学派など)までいろいろいた。

戦争が終わると、「日本帝国は悪であり、正義の連合国に負けた」という考えが一般的にあんって、こういう人達は口をつぐむのだけど、1950年代ごろから「やはりあの頃の理屈も捨てがたい」と考える人たちが世間に出てきはじめる。

その代表格が林房雄の『大東亜戦争肯定論』(1963-65年ごろ)。この本が売れるとともに、「あの戦争はアジアの解放のためだった」というものから「きれいごとを言っても、しょせんは日本帝国とアメリカ帝国と大英帝国の戦争にすぎない」というものまで、様々に戦争の意味を正義から切り離して考える思想が現れる。

1980年代、90年代には日本帝国の戦争を肯定する議論は下火になったのだが(この時代に育ったのがいまのネット世代である)、1990年代からは肯定論が再び興隆し始める。ここでは、アメリカ(やその他の勢力)の陰謀などへの言及も増えていった。

この流れの延長上に2000年代に登場するのが「新しい歴史教科書をつくる会」であり、その歴史観(それはほぼ大東亜戦争肯定論の焼き直しである)を政策にまで引き上げたのが2012年以降の安倍政権である。

太平洋戦争の意味について何かを言いたいとき、我々がまず考えなくてはいけないのは、自分のアイデアがこうした右派世論のどれかにシンクロしていないか、ということだ。

それらは車輪どころではない、邪悪の再発明だ。そこに落ちこまないことを考えておかなくてはならない。

replies
0
announces
2
likes
1